評論

『東京大学<ノイズ文化論>講義』宮沢章夫

ISBN-13: 978-4861912849 2007年 白夜書房

☆☆☆☆

「美しい国」「品格ある国家」「格差社会」の陰で排除される〈ノイズ〉とは、なにか。
 大好評「80年代地下文化論」に続き、宮沢章夫がまたも東大駒場キャンパスの密室で悩み、思い出しつつ語る「見返りのない講義録」。
白夜書房HPより)

前回のは未読なので、つながりは分かりませんでした。ゲストで面白かったのは岡田斗司夫の回で、オタクがオタクとなっていった95年の宮崎事件を軸に語ってます。

当時、オタクは(というか、アニメファンとかってことだと思いますが)社会の底辺にいるという自意識を持っていたとか。岡田さんは世間様(ふつう、とか一般的、とか)から外れたと思っているし、思われている<ノイズ>側からの視線です。

具体的には、ってこのほうが面白い話でして、「どうして服を毎日変えるのか」「異性に興味ないし(思春期のモテたい願望はナシ!)」ツェッペリンが何?洋楽って何? →アニソンがあるじゃない! とかです。服は毎日替えたいけど・・・異性に興味なしってあたり、ちょっと・・・自覚があるので、面白いなと思います。

講師の宮沢さんは、モテたかったし、音楽は洋楽(ロック)だし、と真逆なので余計に面白いのでした。

90年代、そういう<ノイズ>排除の方向に、意識・無意識に日本社会がシフトしてきてて、でも、それは不自然だろうというのが全体的な方向です。
いろんな事件、出来事をテーマに80年代を通して、現在を知るというのが目標だというのですが、それは最終章でちょこちょこと。基本は80年代ってこうだった、的なほうに流れがちでした。

また、こういうのを10年後に読み直すのも面白いんだと思いますー。

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『若者殺しの時代』堀井憲一郎

ISBN:4-06-149837-1

☆☆

「若者殺しの時代」というやや過激なタイトルのために、最終的に強引につじつまを合わせてきた感があります。が、さらっと読んで、ふふっと笑って、たまに考える材料にも出来ます。80年代に若者(だいたい20歳前後だと思いますが)だった方はとても懐かしく、すぐ上や下(それは私の世代)も懐かしく思い出せそう。

タイトルに大して意味はないです。80年代的な若者が殺されてなかったわけじゃないし、若いから得するほうがおかしいでしょう。

まえがきに「若者であることは得なのか、損なのか」と。
団塊ジュニア世代の私の感想は、どちらにも当てはまる、です。若いからって得した覚えはないし、年齢のせいで損したっていうより、なにせ不況だった・・・
しかし、青春を80年代で過ごした堀井さんたちは「得だ」と感じながら過ごしたらしい。そうでしょう、そうでしょう。バカかと思うくらい軽く軽く。そんな風に見えてました。

クリスマスが恋人たちのものになった(商業的に)のはいつか? 
クリスマスがお正月より大事になったのはいつか?(これに関しては、『普通の家族がいちばん怖い―徹底調査!破滅する日本の食卓』でも触れてるので、オススメ)
テレビドラマ、東京ラブストーリーの赤名リカが破壊したものとは?

↑これは、男女論とも取れる視点。恋愛の主導権が女の子に移っていった過程が見えます。あ、フェミ論ではない。

サブカルチャー、マンガの捉え方の世代間の違い。
「一杯のかけそば」の捉え方の世代間の違い。

↑こちらは、戦後世代vs.戦中世代、と、戦後すぐ世代vs.現在の若者、の捉え方の違いを見つけてます。
「一杯のかけそば」で貧しかった兄弟は、オトナになったら「医者と弁護士」になってたんですねー。覚えてましたか? ほんと笑えるなぁ ものすごく昭和な出世イメージだったのですね。厭らしいわー。

1番びっくりだったのは、ここ10年くらいの大学生は大学の単位取得を「来た」と表現するとありまして。「キター!」って織田裕二? これはホントなのか? 単位は取るもので、どこかからやってくるものじゃないと思うんですけど。今もそうなのか気になります。

若者たちの上の世代がオトナにならないので、今の若者たちがオトナに対しての「若者」になれず、押さえ込まれてるというのが主張でした。それはそうですね。
経済も発展しないことだし、こうなったらこの社会のしくみから逃げてもいいのだとも。うーん、それは無責任な。
職人的スキルを身につけるなどして、生きていくと良いともありました。なるべく一般社会に関わらずに、しかし働くとなるとそういう選択肢もありそうですが・・・ 

別にいまの「若者」にこうしたら?なんて指南しなくてもさそうな本文だったのに、不思議なまとめでした。
あと、文体が村上春樹風なのが妙におかしいです。わざとハルキ風にしたみたいですね。

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『狼少年のパラドクス』内田樹

ISBN:4023303771  朝日新聞社出版局 2007年

☆☆☆

学校教育、とりわけ大学のあり方について論じたもの。巻末には文部科学省の官僚とのやりとりも記載され、行動派な内田先生が見えます。

他の著作でも書いている路線で、テーマが教育再生となっているもの。先生世代の目から見たら今の教育現場はこうなんだろうけど、こうなると実際の学生がどう見ているのかも聞いてみたくなりました。団塊ジュニアのはしくれとして聞いてみたいなぁ
ゆとり教育世代の子どもたちはどう思ってるのかとかー、分数の計算ができない大学生とか(それでも大学生になれる)。

ところで、この本の本筋には関係してない余談部分で、大学のゼミで軽くクチにした「フェミニズム・・・」に対して、学生たちが「フェミニズム」を聞いたことがないと言ったというところが、やけに衝撃的でした。
フェミニズムって学校で習うわけじゃないけど耳にする言葉じゃないのか。そうかー、フェミコードって言葉も通じないんですね。
たぶん私の世代はフェミニズムっぽいことの叫びの最後にひっかかった世代だと思うのですが(女性も社会進出、とかそういうキャンペーンの余韻も)、激しく世代間ギャップを感じるエピソードでした。

そんな学生たちのため、そして学ぶ場の将来のため、自分のため、内田先生の奮闘が語られています。

あと、表紙がヘンで損してます。容量としては厚めだけど新書っぽい雰囲気にしておけばいいのに。

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『下流志向 学ばない子どもたち働かない若者たち』内田樹

ISBN:978-4-06-213827-7 講談社 2007年

☆☆☆

2005年に行った講演をもとに書き起こしたもの。現代の子ども、若者たちの学習意欲が低い、やる気の低下、わからないことを放置すること、ニート、などについて語っている。

「なぜか?」にコレだ!というひとつの回答があるわけではないけど、こういう見方があると考えさせてくれるヒントになりました。

全身を使ってだるそうにしている学生を見て、つい授業を聞いてしまうことを一生懸命我慢して、拒否しているのには、逆に相当の意思がなければできないのではないか、という切り口は新鮮。そうとも言える。
だらだらと45分間を過ごすより、つい教師の話を聞いちゃったほうが楽じゃないのか?という論理です。

自分のまわりの学力低下は結果として大学入試のレベルを下げることになるなら、(無意識かもしれないけど)歓迎しているのかもしれない、と。団塊ジュニアにはありえない考え方だ。何だか、世代間ギャップを激しく感じる話でした。

小学校に入ったばかりの子が「それは何の役に立つのか?」と教師にたずね、絶句してしまう、というのも面白い。そうそう、高校生のころは「数学なんて役に立つのか?」って思ってたな・・・

内田先生によれば、まず尋ねている小学生は、自分が経験し、あるいは想像できる範囲でしか「役に立つ」を把握できない。けれど、教育の成果というのは学び終えて振り返ってはじめて見えてくるものであって、学ぶ前のモノには何であるか、は決して理解できないものである、という。

確かに! ふふ、それに、役に立たないものこそ高尚だという話も(私のような国文科卒の大義名分。役に立たないって素敵!) 
考えることとは何か?を考える、数学を学ぶとは何を解明しようとしている作業なのか? 経済とは私にとって何か?

経済目線で、人間関係も自分も捉えている。という。お金を持っていれば偉いし、なければ敗者であり。弱き者は、市場から去り、孤独に死ぬしかないのか・・・?

自己責任、とは若く元気な者ならば無理なくできることであろう。しかし、人は誰でも年をとるし、怪我もするし、病気もする。100%じゃなくなって、それをすべて個人で引き受ける社会が成熟した社会と言えるのだろうか? 体力がある者が率先して、助けるべきではないのか?

自分がまだ若い、と思って読むとズキっと来ます。

 

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『村上春樹にご用心』内田樹

ISBN:978-4903951003 アルテスパブリッシング 2007年

村上春樹(作品)論として読んだなら、☆☆☆☆
村上春樹ラブ☆の大学教授の徒然草、なら☆☆☆

内田樹さんのことは全く知らず、おやおやな私でした。わりに色々活動なさってる方だったんですね。「村上春樹」につられて読んだわけですが、内田さんの熱きハルキストぶりに感化され、また読みたい気分が盛り上がりました。それだけでも、なかなかのやり手ということで。あ、表紙の「文化的雪かきをしてる羊男」だけでも、なかなか!

これだけ世界各地の人に読まれているのに、日本国内での評価が低い・・・。いや、低いっていうか、そもそも文学評論のレベルが低いので、読めてないと仰る。まさにそう! いまだに、軽いとか土の匂いがしない、とかそのレベルですよ。ふん。

ブログに書きおいたものから村上春樹に言及しているものを集めているので、全く大系だってません。その議論、続きをぜひ!と思うものがあっても次がないのでした。でも、つい先を聞きたい、と思わせるゆえ、きっと講義は楽しいだろうと想像。

村上作品においていつも繰り返される「欠如感」についての論、用いた言葉は違ってもそれそれ!と読みながら大きく頷く箇所でした。作品に出てくる言葉でいうなら「喪失感」ってことですね。
何を失っているのか、永遠に失われた/損なわれた・・・僕、がどう生き延びていくのか、いやぁ涙が出そう。私も、あなたも、すでに何かを失っているんです。
そして、失わないとあったことが分からないのであり、分かったときには二度と手に入らないのです。もう失ってますから。

と言うわけで、核心である、「何を」欠如しているのか、については触れていないのが非常に残念。他の著作で触れてるのか気になるので、しばらく内田樹の著作周辺を読んでいこうと思います。

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